バカー!


酔ったオーボエのMとファゴットのOにズボンを派手に破られたので、ついに修繕を決意した。
もうね、お気に入りのズボンでかなり愛着のあるヤツなので普通に凹みました。特に右ヒザとポケットを完全破壊したM。いつかMは本名晒しの刑にしてやる。googleとかで本名検索したら未来永劫このブログが出てくる刑。意外とキツい刑罰だと思った。でもやらない。でも次なんかやらかしたら絶対やる。死んでもやる。メールアドレスを公表して、いたずらメールでメールボックスが65536通ぐらい埋まるようにしてやる。ていうか、埋める。


と、いうわけで材料


・破られたジーンズ
・古着屋でうっかり買ってしまったサイズの合わないシャツ(100円)
・手芸用ボンド
・CD(今日はサン=サーンス交響詩『死の舞踏』)


CDをかけて、シャツを切って、ボンドを塗って、シャツを患部に貼る。


ていうか、「死の舞踏」で変換したら「忍党」とでてきて、ちょっと忍者気分。くノ一!くノ一!



あと、忍党はかっこいい曲だと思った。忍党やりたい。
っていうかかっこいいかも。忍党。忍党甲賀流骸忍法、みたいな。

雷電「あ・・・あれは世に聞く忍党!」
虎丸「知っているのか、雷電!」
雷電「うむ、それはだな・・・」


忍党・・・
戦国時代、世の戦国武将達が忍者を積極的に登用していたことは一般にも知られている。
戦国時代末期、上杉謙信甲賀の里の忍者達のみで構成される特殊部隊「忍党」を作り上げた。この「忍党」は、中国武術と忍術を融合させた、中国忍術の第一人者である山讃州を筆頭に組織された300人もの優秀な忍者からなる特殊部隊であった。
この「忍党」の功績は絶大で、上杉謙信を影から支えたと言われている。
なお、忍党はヨーロッパに渡り、その逸話を聞いたサン=サーンスが忍党をイメージした交響詩『死の舞踏』を作り上げたという話はあまりに有名である。サン=サーンスは音楽活動を行いながらゲルマン忍法を操り、忍者としてヨーロッパ社会の闇を駆け抜けていたと言われ、その「サン=サーンス」という名前も、忍党の党首であった山讃州から付けられたという逸話は有名である。


民明書房刊『ゲルマン忍法帳〜シュツルム・ウント・ドランク〜』より

でも誰がヴァイオリンやんだろ。これ難しそう・・・。