定食屋における「おばちゃん三割増しの定理」についての考察


突然だが、味のあるおばちゃんやおっさんがやってる定食屋って、なんかやけに旨そうに思えてこないか?
今日、「さくら水産」に行ってそう思った。
この店には味のあるおばちゃんがいるんですよ。いいキャラしてるのね。で、この店はチェーン店にもかかわらず、ここの定食が一番旨いッ!って思える。
あと、おじさんがやってる定食屋もうまそうだよね。洋食食わしてくれるとこなんかもおじさん一人だとなんか旨そうな感じがする。養殖にはおばちゃんは似合わないが、味のあるおじさんは似合うと思う。
で、そんな店でごはんを食べると、三割ぐらい旨いような感じがするんだよね。バイトの大学生とかだけだと、なんかあんまりおいしくないような感じがする。おっさんやおばちゃんは定食屋の一部である、と思う。


これを、「おばちゃん三割増の定理」と呼びたいと思う。


例えば、おばちゃんが一人でやってる定食屋と、ギャルがやってる定食屋とどっちが旨いと思う?たとえ、そのギャルが四万十川料理学校でキャシー塚本に師事し、そこを首席で卒業し、あの海原先生をも唸らせた猛者でも、俺は「おばちゃんの店のほうが旨いッ!」と言うかもしれない。人間の感覚なんてそんなものである。でも俺はたぶん、ギャルのやってる店に行くと思うなんだかんだ云って。


「見た目」や「キャラ」いや、もっと言えば「その人の生き様」というものは、その料理の味を決定する重要なファクターとなりえるのである。例えば、中国人の作った中華料理と日本人の作った中華料理、どっちが旨いと思う?脱サラした頭に巻いたタオルの似合う怖そうなおっさんが作ったラーメンときれいなお姉さんの作ったラーメン、どっちが旨いと思う?例え、後者のほうが料理の技術は勝っていても、前者のほうが総合的に勝ってしまう可能性もある。


このように、いいキャラのおばちゃんやいいキャラのおっさんが店にいる、ということ自体が店の料理の味を代える重要な要素となり得てしまうのである。わかった?


音楽でもそうだよね。
ラッパーはスーツではなく裏原系ファッションでなければならないし、パンクバンドのメンバーはシド・ヴィシャスのように生きるべきだし、フォークをやるミュージシャンは古着で身を固めているべきだし、理系の大学生はイトーヨーカドーでママに服を買ってもらうべきなのである。PIKOとかね。


つまり、「見た目」って大事だよね。ってことです。おしまい。